オンライン授業のデザイン

大学で日本語教育(教員養成科目,日本語科目)を担当しています。2020年春,突然取り組むことになったオンライン授業のオモテとウラを本音で記録しています。

研究室MLにて

わたしの研究室には,関係者のメーリングリストが2つある。1つは「現役ML」で,いま在籍している修士,博士の学生が登録されている。もう1つは「全体ML」で,現役生と修了生の全員が登録されている。ちゃんと数えたことはないけれど,100名近くいるのではないかと思う。多くの修了生は,世界各地で日本語教師をしている。

ある日,欧州在住の修了生から全体MLに「うちの大学もオンライン授業になりました」という近況報告が流れた(以下,個人が特定できないよう,ご本人の承諾を得て加工しています)。

5月末まではすべてオンライン授業になることが決まり、勝手がまったくわからずあたふたしております。こちらの大学では一律でZoomの使用が禁止されてしまったので、Webexのアカウントを取って練習したり、ILIASというmoodleのようなシステムで授業準備をしたり・・・日々状況も変わるので、更新される情報についていくので精一杯です。

それに対する私の返信は,次の通り。

こちらも春学期いっぱいオンライン授業であることが決定し,おまけに5月6日(水)まで構内立入禁止。5月11日(月)からの授業をオンラインで進めるべく,教員は在宅の限られた資源のなかで右往左往しています。

「対面授業とはまったく異なるコンセプトで考えないといけない」というのは,大学院と日本語センター両方の授業デザインを考えながら,しみじみ実感していたところです。

昨日の自主ゼミ@ZOOMで「オンライン授業」が話題にのぼりました。日本でも「オンライン授業」は,いままさにホットな話題です。

「オンライン授業」をもっとも一般的に定義するなら,「インターネットやネットワークの接続を利用する授業」でしょうか。反対語の「オフライン授業」は,「インターネットやネットワークの接続を利用しない授業」かな。

「オンライン授業」の類似の用語に「遠隔授業」があります。「遠隔授業」の定義って何だろうと思ったのですが,ざっと調べてみた限り,文科省の資料などでもとくに定義なくいきなり使われていたので驚きました。「遠隔授業」の反対語は,「対面授業」かな。

日本語教育における典型的な「対面授業」「オフライン授業」には,日本語学校や大学などでの日本語授業がありますが,1対1の個人レッスンや1対多のグループレッスンもあります。

一方で,日本語教育における「遠隔授業」「オンライン授業」の具体例はなんだろうと考えたのですが,昨日の自主ゼミのように,全員が ZOOM などでつながるリアルタイム双方向もあれば,オンライン教材のように,ネット上に準備された教材に,自分のタイミングでアクセスし説明を読んだり(聞いたり),練習問題に取り組んだりするものもありますね。それに対するフィードバックがネット上に準備されていることもあれば,後日,生身の教師が手を入れてフィードバックが戻ってきたりすることもある。

何を言いたいかというと,「オンライン授業」と一言でいっても,その実施形態や目的はさまざまであり,そこをきちんと押さえてデザインしたり,意見交換したりしないと,うまくいかないのではないかということです。

いま世間を賑わしている「オンライン授業」は,本来「対面授業」が想定されていた教育環境を,コロナ対応のためにしかたなく移行した「オンライン授業」です。なので,「対面授業」で行おうとしていたコンテンツをそのままオンライン化するような,表面的/技術的な作業が主流に見えます。このタイミングでコースデザインを劇的に変えることはできないから。

現実への対応はもちろん大切で,きちんと仕事をしなければいけませんが,一方で,一歩引いて,そこでの「教育コンテンツ」について考える視点を持ち合わせていなければと思います。(「日本語教育の専門家」を名乗るのであれば。)

朝から長くなりましたが,昨日の自主ゼミでの議論とリンクしたものですから,思わず書き込んでしまいました。

今日も良い1日でありますように!

これをきっかけに,日本国内,タイ,ロシアなどからもオンライン授業対応の様子が流れてきて,久しぶりに全体MLが活発になる。そして,印象的だったのは,とある修了生からの次の書き込み。

ただ、少し歯がゆいのは、どうも「オンライン授業に合う形で評価観点を見直す」ということよりも、「従来通りの試験を、どのように『カンニング』をさせずに行うか」ということに議論が偏っているように思われる点です。

先日の会議では、「カンニングするなと伝えて、後は学生の良心に任せよう」というような話が出ていました。それで、「ググったら答えが出てくることを、別に頑張って覚えなくていいじゃないですか。期末試験やめて、レポート提出なんてどうですか」と、本当に軽い気持ちで発言してみたのですが、これが意外に逆鱗に触れてしまいました。「レポート提出にしたら、Google翻訳を使うかもしれないし、日本人の友達が代筆するかもしれない。それじゃ授業で教えたことの評価にならないし、そもそもそれ自分の力じゃないでしょ」と一蹴でした。「自分の力」ってなんだろう。自室で自分のパソコンを使ってテストを受けているのに、ブラウザの別のタブで検索することは「カンニング」なんだろうか。そもそも、今までやっていたテストは、「カンニング」をすれば容易に満点が取れるものだったのか。常日頃から関心があることなのですが、みんなが自宅からオンラインでつながりながら授業を進めている今だからこそ余計に考えてしまいます。

授業のオンライン化は,物理的空間としての教室からの脱出を意味している。それはとりもなおさず,学びの場が教師のコントロールから離れることを意味する。情報収集をしながら感じていた違和感はここだったのだ。学習観も言語能力観も教室観もそのままに,オフライン(対面)授業をそのままオンラインに移行させるという発想自体を手放さなければいけないのだ。

でも,どうやって?????

もがき苦しむ日々は続く。